四方を海に囲まれた日本の食生活において、魚は切ってもきれない食材です。また、水に恵まれた河川や湖でも、古来より漁業が盛んに行われてきました。

そのため、気候や条件にあった多種多様な漁具が使われています。淡水と海水の交わる汽水湖、涸沼にも多くの漁具があります。

水戸八景「広浦の秋月」で知られ、涸沼の北東に位置する「広浦屋」のご主人、長洲秀吉さんにご協力頂き、現役で使われているもの、今では使い方が変わってしまったもの等、様々な漁具を紹介いたします。

刺し網  〜名実ともに一網打尽〜

最初に紹介する「刺し網」は、その漁を実際に拝見しました。

刺し網

魚の群れが通る場所にはる網で、魚の頭が網の目に刺さるように絡まる事が名前の由来です。水底から水面近くの魚まで網を張る範囲は幅広く、網目の大きさも魚に応じて様々です。網の上と下には、浮の役目をする「浮子<あば>」と重りの「沈子<いわ>」のがあり、設置する水の深さで大きさと重さが変わります。

前日に仕掛けておいた網は、約100m沖にある竹竿が目印でした。舟で網の所へ向かい、ゆっくりと繰り寄せます。網を上げ始めてから数十秒で早くも魚の影らしきものが見えました。しばらくすると、岸からでもハッキリ分かるほど大きな魚も次々上がっています。それらの魚は網に掛かったまま無造作に舟上に重ねられてゆきました。刺し網の長さは約30m、掛かった魚を全て舟にあげるまで10分少々でした。

刺し網

岸に戻った舟の中には網に絡まった魚が折り重なってました。スズキ、ボラ、フナ、そして、コハダまで。海と川の魚が同じ網にいる様子は汽水湖の涸沼ならではです。知識として分かっていることでも、実感が伴うとこんなにも納得出来るのかと改めて感じました。

■余談ですが、水揚げしたボラを刺身で頂きました。

通常、市場に出回らない魚の刺身ですから、ためらいがちに箸を伸ばします。ところが、この味「うまい!」の一言です。泥臭さや生臭さは全く感じません。切り身にしたボラにすり下ろしたショウガと醤油だけのシンプルな物でした。素材と鮮度の違いなのでしょう、弾力や歯ごたえもちょうど良く、「ご飯ください」と思わず声に出しそうなくらいでした。

笹浸(ササジ ささびたし 笹漁)  〜手軽で簡単 餌いらず〜

地域によって楢(なら)や樫(かし)などの材料で作られているようですが、見せて頂いたものは竹でした。まるで大きく作りすぎてしまった竹箒の穂先です。これで魚が捕れるだろうか思うような漁具でした。

笹浸(ササジ ささびたし 笹漁)

主に小さなエビや小魚を捕る漁具で、まず水底に沈めます。しばらくすると、物陰を好むエビや小魚が身を隠すために枝の間に入ってきます。そこをゆっくり引き上げ舟や網にふるい落とす。漁業権さえあれば誰にでもできる簡単な漁だそうです。1960年代頃はウナギの幼魚「クロコ」も多く捕れていたそうですが、現在では随分数も少なくなったそうです。 原始的で簡単な漁ですが、涸沼に生息する多くの小魚を捕ることができる楽しい漁だとのことです。

延縄(はえなわ/はりなわ) 〜糸の盛りそば?〜

「ざるの上に糸が山のように盛ってある」ようにしか見えませんでした。

延縄(はえなわ/はりなわ)

近づいてみると、その縁を囲むように付いている光る線と点が無数にあります。よく見ると釣り針と釣り糸で、蜘蛛の巣の糸が四方八方に伸びているように細く綺麗に掛かっていました。

延縄(はえなわ/はりなわ)

これは、いわゆる釣竿に使う仕掛けを大規模にしたようなもので、長さが約50mの幹糸(縄)に1m程度の間隔で細くて短い枝糸(縄)を結んでに釣り針を付けます。幹糸の端を沖にある竹竿に結び、それを伸ばしながら順番に枝糸を降ろしてゆきます。ひとつひとつの釣り針には餌のエビが付いていて、狙う魚はウナギです。夕方に仕掛けを水底に入れ、翌朝引き上げます。

ウナギ漁のシーズンは5〜10月ですが、1960年代には冬場でもこの漁具をフナなどの川魚に活用していました。当時は川魚も貴重なタンパク源で需要がありましたが、食生活の変化に伴い、現在では冬に使う事は無いそうです。

カッター (蜆掻 ジョレン<鋤簾>)  〜環境保護の人力漁〜

この漁具をみて最初に連想したのが、通学に使う自転車の前に付いている金属の「買物カゴ」です。

カッター (蜆掻 ジョレン<鋤簾>)

ただ、よく見るとその縁に「爪」が出ています。

カッター (蜆掻 ジョレン<鋤簾>)

この爪がある事で沼底の土を掻き入れやすくしています。まるで、パワーショベルのバケット(先端部分)に水泥を落とす穴が開いたような構造です。そして、水底にカゴが届くように長い柄が付いています。平均的な長さは5〜6mぐらいですが、長いものになると10m以上の物もあります。一般の呼び名は鋤簾(ジョレン)や蜆掻ですが、涸沼では「カッター」と呼ばれていて、シジミを採る漁具です。

カッター (蜆掻 ジョレン<鋤簾>)

近年、減少傾向にある涸沼のシジミを保護するために、様々な配慮がされています。

まず、カッターのシジミを掻くカゴが目は粗く、12mm以下の稚貝がこぼれ落ちるようになっています。漁協の認可証がついて、この条件を満たしていないと涸沼では使用できません。一年を通してシジミ漁はできますが、土日祝日と産卵期(6〜8月)内の1ヶ月は禁漁になっています。更に、大量採取ができる機械動力を使わずにカッターでの手掻きだけでの漁です。これは全国でもめずらしい事で、シジミの保護もさることながら、人力での漁は機械と異なりキズも最小限に抑えられ、保護と質を両立させた漁法と言えます。

ずうけ (筌<ウケ/ウエ>) 〜今や、まぼろし…〜

竹を細く割り、筒状編んだ漁具。入り口に漏斗状の返しがあり、入った魚がでられないようになってます。餌になる潰したシジミを中に入れ、水底に沈めます。ウナギ漁の代名詞となる漁具でした。一般に「筌(ウケ/ウエ)」と言いますが、涸沼周辺では「ずうけ」と呼ぶようです。

ずうけ (筌<ウケ/ウエ>)

細く均一に並んで丁寧に編み込まれた竹は、まるで生け花に使う花器のようです。

冬場で漁が忙しくない時期に漁師たち自身で作ります。

この「ずうけ漁」が最も盛んだった昭和40年代には、舟に400個程の「ずうけ」を乗せて漁に出たそうです。更に、餌に使っていたシジミも今のような希少価値はなく、「砂利」と同じぐらい豊富で、採るではなく「在る」のが当たり前だったそうです。現在ではシジミはウナギの餌ではなく、食材として市場に出荷するようになり、ずうけは「幻の漁」と呼ばれるようになっていきました。

今も尚、豊富な魚貝類に恵まれた涸沼ですが、40〜50年前のこの辺りは「宝の山」だったに違いありません。

たかっぽ (ウナギ竹筒) 〜快適な住まい?〜

竹を1m弱の長さに切り、節を抜きます。それを1〜2個並べ糸で結んで固定し、竹筒が水平が保たれるように、筒のバランスを糸の長さで調節します。

たかっぽ (ウナギ竹筒)

これも、水底に沈めてウナギを捕る漁具です。乾燥した状態の竹は水に浮いてしまいます。そこで、漁を行わない冬期を利用して、自重で水底に沈むように水にひたし、竹に水分をしみ込ませ重くしておきます。「ウナギ竹筒」とも呼ばれているようですが、涸沼では「たかっぽ」や「たかすっぽ」と呼びます。「竹にすぽっと」ウナギが入るから「たけすぽ」「たかすぽ」「たかっぽ」と変化したのかもしれません。見せて頂いた「たかっぽ」は黒光りした表面に藻が生えていて、何とも言えない風合いがありました。

 

この漁法は餌を使いません。同じウナギを捕る方法でも先程の「ずうけ」と違い効率は悪いかもしれませんが、涸沼の環境の保全にも役立っているようです。

通常は水深が2〜3mの水底に所においてウナギを待つ道具ですが、夏の暑いときにはウナギが水面近くまで上がってくるので水底には沈めません。こうすることで、ゆらゆら漂う狭い竹筒がまさに「ウナギの寝床」になる訳です。

ウナギ鎌 〜昔は目視、今は漁師の経験〜

竹竿の先に太くて大きな釣り針を付けたような漁具です。物語などに出てくる海賊の義手に付いているフックにも似ています。

ウナギ鎌

全体の長さは約3mで竿の先に付けた鉤状の金属を水深2mぐらいの沼底の土に入れます。そして、シジミを採る時と同じような要領で、泥を掻いてウナギを掛け捕ります。構造と漁方は単純ですが、ウナギのいる場所を知る漁師の経験と感がモノを言う漁です。

ウナギ鎌

以前はこのウナギ鎌使って「穴掻き」と言う漁もしていたそうです。その当時は冬になると水の透明度がより高くなり、透き通った水面からウナギのいる穴を見つけられたそうです。穴をめがけて鎌を入れ、ウナギを捕る。水質の変化で今は出来ませんが、このことからも今から40〜50年前の涸沼には、澄んだ水と多くのウナギが捕れた事が分かります。

このように、一度に多くを捕る方法から、誰でも簡単に出来る漁、そして、経験と勘が無ければ出来ない漁など種類は様々です。これらの漁は、次の漁へと繋がる足がかりになっているものもあります。例えば、「笹浸し」です。まず、エビを捕り、それを「延縄」の餌にしてウナギ捕る。他にもシジミを採って、「ずうけ」に入れウナギの餌にするなどです。こうして見ると、紹介した漁具では、刺し網を除く全てがウナギに関係していることになります。今も昔もウナギが貴重な食材である事に変わりはないようです。

水の在るところに魚あり、魚在るところに人住めり、人、それを食す也

古来より、人は水辺に住みその恩恵を多く受けてきました。魚を捕って食料にすることもそうですが、水が澄んでいた頃の涸沼には砂浜もあり、夏は水遊びをする人が沢山訪れたと聞きます。

長洲さんが仰った「シジミは砂利のようにあった」、にわかには信じられない程の環境変化です。それに伴い、使われなくなっていった漁具「ずうけ」も象徴的でした。

それにしても、近頃の環境の変化や技術革新の速度には恐ろしさすら覚えます。これからの涸沼の漁はどのようになってゆくのでしょうか…。これらの変化は受け入れざるを得ないものが大半です。今ある事実を好機に捉える発想の転換で、涸沼がより良い漁場になってゆく。ラムサール条約湿地に認定された事が貴重な環境を見直す糸口なればと思って止みません。

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