涸沼 釣りと釣り竿

古くから魚釣りの名所として知られる涸沼ですが、インターネットで「シーバス ポイント 聖地」と入力して検索すると、リストの上位に「涸沼」の名が出てきます(2017年3月現在)。

涸沼はシーバス(スズキ)釣りに最適な場所の1つです。

シーバス釣りの装備は、主にルアー、リール、ロッドの三点セット。いわゆるスポーツフィッシング(遊漁)と称される欧米流の釣り方です。このように現在では、化学合成素材を使った装備で興じる釣りが主流になっています。

人の考え方とともに、世の中は常に移り変わります。釣りの道具や楽しみが変わることも当然です。

しかし、そんな移り変わりの速い時代でも 根源的なモノと洗練され研ぎ澄まされたモノは自ずと残ります。

ここでは、涸沼の釣りの原型と、汽水湖ならではの魚に対応し、今も進化を続ける釣り竿「涸沼竿」を成り立ちからご紹介いたします。

#広浦屋さん

涸沼での釣り事情と歴史を調べはじめると、「涸沼」を冠にした釣り竿「涸沼竿」が目にとまりました。

汽水湖特有の豊富な魚種に対応し、大小様々な魚を一本だけで釣ることが出来る伝統の竿とのことでした。

この竿から涸沼での釣りをより詳しく知る事ができると思い、まず、漁具の紹介でお世話になった広浦屋の長洲さんに訊ねました。

漁具に精通した長洲さんでしたが、涸沼竿は持っていませんでした。

ただ、幸いなことに、今も船釣りで使っている剥き身の竹竿、そして、

涸沼竿の材料と成り得るかもしれない、竹の束も見せて頂きました。

 

竹竿

竹竿

 

この竿は、不安定な舟上でリールの扱いが難しい舟釣り初心者の方々に使って貰っているそうです。切り出した剥き身の竹に釣糸と釣針のシンプルな作り。これこそが、釣りの原点であると同時に涸沼竿のルーツとも言えるのではないでしょうか。

 

竹束

竹束

 

以前は釣り竿にできる良質な竹が近場でも多く採れたようですが、今では中々見つからなくなってしまったそうです。見せて頂いた竹は栃木から持ってきたとのことでした。

また、女将さんのお兄様から借りてきた竿置も見せて頂きました。

釣り好きは釣り竿をはじめ、必要な道具を自分なりに工夫して作るのが普通だそうです。これは、舟縁に釣り竿を置く為の道具で、縁の太さに合わせて幅を調整できる金具が入っています。一つは山椒の木、もう一つは松でしょうか、いずれの竿置きも細工と工夫が懲らしてあり、素人目にも感心するばかりでした。

 

竿置き

竿置き

竿置き

竿置き

 

本命・涸沼竿

広浦屋さんの他にも各方面を調べていたのですが、中々手応えがありません。

「涸沼竿」はもう目にすることが出来ないかもしれない…。と半ばあきらめかけていたときに、現役で涸沼竿も手がける和竿制作の「吉田孝治」さんの存在を知りました。自宅兼工房があるのは茨城町、詳しいお話を聞かせて頂きました。

お話を伺ってまず初めに驚いたのが、「涸沼竿」そのものの在り方です。

今まで読んだ関連記事によると、涸沼周辺で使われていた竿先(穂先)の「しなり」の強い「伝統的和竿」と紹介されています。ところが、拝見した「涸沼竿」には、いわゆる和竿には無いモノが付いていました。それは、スポーツフィッシング等で使う糸巻き「リール」を付ける部分「リールシート」とリール糸を通す「ガイド」です。

これは、和竿と西洋のリールロッドの絶妙な組み合わせ。舟釣りも陸っぱり(岸釣り)も楽しめる言うなれば「多様竿」、「ハイブリッド・ロッド」だったのです。この事実を知ったときは正直、イメージが崩れました。ただし、良い意味です。現代風にアレンジされて進化した和竿が「涸沼竿」なのですから。

伝統と新技術が融合した「涸沼竿」、通常の投げ竿は岸から両手で大きく振りかぶるのに対して、涸沼竿は狭い舟の上での使用を想定しています。そのため、片手での扱いに特化し、リールシートは下付きで短い「握り」のすぐ上にあります。そして、最大の特徴である「しなり」を活かし、小さな動きでも仕掛けを遠くに投げる事が出来るのです。

 

リール&リールシート

リール&リールシート

リール&リールシート

リール&リールシート

 

江戸時代頃から涸沼周辺に伝わってきた釣竿を現代に蘇らせ、改めて「涸沼竿」と銘々し、完成させた方がいます。「川上東明」さんです。

吉田さんは、涸沼竿復活の父である東明さんに師事し、制作と販売のお墨付きを頂いています。ところが、師匠であるはずの東明さんは、「俺は弟子はとらない」と仰るそうです。そんな師匠であって師匠でない東明さんのことを吉田さんは「オヤジ」と親しみを込めて呼び、今も度々お宅まで足を運ばれるそうです。もしかすると、東明さんは師弟関係を越えた関係を築くために、あえて弟子にする事を避けているのかもしれません。

涸沼竿歴史、復活と制作工程

涸沼に伝わる釣り竿が多くの釣人に知られたのは、常磐線の開通で湖畔に船宿の整備がされはじめた明治の後半から昭和初期にかけてだったようです。その後、時代も激しく移り変わり、竿の制作は途絶えてしまいました。

無くなってしまった技術の再構築。更に、現代の用途にあわせ進化・発展させる。これは並大抵の労力ではなかったはずです。

東明さんが作り上げた「涸沼竿」は2本継ぎで長さは9尺(約2m70cm)。細見で軽くしなやかな竿を仕上げる秘訣は、愛宕山(笠間市)の近くで見つけた竹にありました。それを山の天狗伝説にあやかって「天狗竹」と東明さんご自身で名付けました。そして、数多くの涸沼竿が生まれたのです。

涸沼竿を完成に導いた天狗竹ですが、現在では環境の変化もあってか、採ることが難しくなってしまいました。「天狗竹が採れなくても、涸沼竿はなくならない」。途絶え技術を蘇らせた東明さんの志は、吉田さんに受け継がれています。「オヤジ」譲りの探究心で、各地に足を運び様々な竹を丹念に調べた結果、今では主に「矢竹」を使い天狗竹と同等の涸沼竿を作り続けています。他にも「丸節竹」「淡竹」「布袋竹」など様々な竹も使います。更に、基本である「2本継ぎ」の他にも「3本・4本継ぎ」と竿の発展の為に研究と実践を繰り返します。東明さんが復活させ、完成させた「涸沼竿」を進化発展させているのが吉田さんです。曰く、より良いモノを創る為の実験を「いたずら」すると言い、竿作りを楽しんでいらっしゃる表情がとても印象的でした。

竿作りの工程は、採ってきた竹を風雨にさらして「枯らす」ことから始まります。

採取の時期は10〜11月の秋ごろ。採取後、3月ぐらいまで庭先に置いておくと、青々としていた竹がしっとりと薄山吹色に変わります。「おひな様出したら竹しまえ」と言われているようで、取り込んだ竹を日陰の風通しの良いところで更に2年以上寝かせます。

その後、矯め火鉢(ためひばち/火入れ用釜)で熱した竹を「矯め木」を使って真っ直ぐにする「矯め」をほどこします。

 

矯め木を使う吉田さん(手元)

矯め木を使う吉田さん(手元)

 

そして、轆轤(ロクロ/電動モーター)に付けた錐(キリ)で継ぎ目の調整をします。

轆轤と言うと陶芸で器を作るものを想像しがちですが、ここで使うのは「ボール盤」を横向きにしたものです。

 

柳刃キリ・ロクロを廻す吉田さん

柳刃キリ・ロクロを廻す吉田さん

柳刃キリ・ロクロを廻す吉田さん

柳刃キリ・ロクロを廻す吉田さん

 

更に、同じく轆轤で竿を補強するために「糸巻き」を行います。

使われる絹糸は100号で、一般のミシン糸3/5のごくごく細いものです。

これを竿先から継ぎ目までの1m55cm(4尺3寸)全てに隙間無く巻きます。
 

 

糸と竿・ロクロを回し糸を巻く吉田さん

糸と竿・ロクロを回し糸を巻く吉田さん

糸と竿・ロクロを回し糸を巻く吉田さん

糸と竿・ロクロを回し糸を巻く吉田さん

 

最後は、より良い一本を創る為に欠かせないのが「漆ぬり」と「青蝶貝」での装飾です。

 

竿元 装飾 ヨリ

竿元 装飾 ヨリ

竿元 装飾 ヨリ

竿元 装飾 ヨリ

 

こうして、様々な行程に時間と手間を惜しまず注ぎ、眺めて嬉しく、使ってなお楽しい涸沼竿が完成します。1本の竿の制作に掛かる時間は短くても3ヶ月、その工程は細かく分けると70以上にもなるとのことです。

工房の様子

今回は、工房も拝見させて頂く事ができました。作業場を見せる事を嫌う方も多いのですが、「隠してもしょうがないから」と笑顔で対応してくださいました。

竹の油抜きや矯めに使う釜や轆轤が並び、あらゆる所にすぐに手が届くように工夫された作業空間は、仕事をする業師の匂いで溢れていました。

 

 

熟成を経て、しっとり象牙色になった竹の束は、竿に姿を変えるのを待っているかのようです。また、そこかしこから伝わってくる雰囲気は、まさに聖域です。役目を終えたであろう端切ですら貴重な感じがします。そして、これら一つ一つが組み合わさり完成する名竿。独特の空間に見ほれてしまいました。

工房から、ふと外を見ると庭先のプランターに竹が植えてあります。釣り竿用の竹は採ったり、買ったりするものだと思っていましたが、自らも育て使う事もあるそうです。これは地産地消ならぬ「自産自消」だと驚きました。

しなり

涸沼竿の特徴として何度となく見聞きした「竿のしなり」には本当に驚かされました。一般的なへら竿のしなり方と比べさせてもらったのですが、これが想像の遙かに上を行く「しなり」でした。

へら竿のしなり方と涸沼竿のそれを比率にすると「1:9」もしくは、それ以上になります。もう、なめらかすぎて同じ長さで比べられない程ですので明確な数字はいえません。例えるならば、運動不足の一般人と第一線で活躍するバレリーナのしなやかさを比べた感じです。百聞は一見にしかず、思わず大声を上げてしまうほどでした。

涸沼竿のしなり具合を分かり易くするため、へら竿と比較しました。ただ、これは本来同じ土俵で戦わない競技の異種格闘技戦のようなものです。道具にはそれぞれ用途と特質があります。この比較はあくまでも参考である事をご理解ください。

 

竿の比較
竿の比較

 

1本の涸沼竿、その柔らかくしなやかな穂先で、ワカサギのような小魚から5kg級の大物まで釣れるとのことですから驚きます。ここまでしなやかで柔軟な穂先は、魚にとって「のれんに腕押し」、魚が暴れても引いても、釣り糸と同化するように力を吸収・分散するので、まず折れる事はないそうです。

また、このしなやかさは魚を釣るのに大きく貢献します。

季節によっても違うようですが、魚が釣り針の餌を口中に入れない「喰い渋り」をする事があります。特に涸沼に昇ってくる魚はこの「喰い渋り」をする事が多くあるようです。

釣り竿の先が堅く反発力が強いと、「食い渋る」魚はハリスが口に喰い込まず、はき出してしまいます。穂先をしなやかで柔らかくすることによって、魚が餌を喰う動作に竿が逆らわない。そして、同調し、なめらかに喰込ませる。まるで、子どもをあやすように、気むずかしい魚を釣ることが出来るのが涸沼竿の真骨頂です。

今後の涸沼竿

素晴らしい性能、しなやかで美しい装飾の施される「涸沼竿」。これぞ、和竿の才色兼備、まさに名竿です。

ただ、どんなに優れた道具でも使わなければ意味はありませんし、「使えないものは作らない」は吉田さんが師事する「オヤジ」こと東明さんの教えでもあります。

竿の容姿もさることながら、使い込んで調子が悪くなれば何度でも調整と修理できる。そして、数十年と使える涸沼竿は、モノが溢れ、使い捨が当たり前のように繰り返されている現状と相反する道具の1つです。

大量生産と大量消費が繰り返される現代、手間と時間をかけた道具はいわば「至高の一品」として、作者の意に反し、美術品にもなりかねません。それはある意味、その美しさと緻密さ故の性かもしれません。ただ、そうなってしまうと、硝子のショーケースに閉じ込められた美術品や工芸品のように、手袋無しで人がふれることない展示品になってしまいます。

涸沼竿をはじめとする匠の仕事が、ただ愛でるだけの美術品ではなく、実践道具(釣具)であるためには、多くの人に知って貰い、使ってもらう事が必要です。

吉田さんも仰っていますが、子どもたちに釣りの楽しさを分かって貰う機会を作る。それが、釣り人口の裾野を広げ、釣り文化の継承、更には、「保全・再生」「交流・学習」「ワイズユース」を謳うラムサール条約に登録され、世界に認められた涸沼を後世にのこしていく1つの方法となるでしょう。

 

 

★ ★ 1960年〜1980年ごろは、第二次ベビーブームの子どもたちが親に連れられて釣りをする光景が良く見られました。もちろん、子ども同士の釣り仲間も多くいたでしょう。テレビゲームなどのなかった時代は、釣りは大人から子どもまで楽しめる休日の娯楽として、各地で盛んに行われていました。現在では、年齢や性別に限らず、遊び方の選択肢が数多くあるからなのか、涸沼で釣糸を垂らす子どもを見かることも少なくなりました。釣りを興じるのは釣りに慣れ親しんだ大人が多く、近年はシーバス釣りが人気です。

 

冒頭でも紹介した「シーバスの聖地」涸沼ですが、いつの頃からスポーツフィッシングの世界では「スズキ」を英語名で呼ぶようになりました。理由はよくわかりませんが、英語にすると同じものでも新鮮に感じるのかもしれません。

そう考えると、これまでも進化を続けてきた涸沼竿ですから、気の利いた「英語名」で世界にアピールしてもいいかもしれません。

そして、海外での評判に併せ、国内の釣人口、和竿の伝統の重みが再認識されれば…と夢も広がります。

せっかく復活した涸沼竿です。少子化の現代、次の世代に渡すバトンの数が子どもや若者よりも多い気がしますが、この伝統を引き継ぎ、今後も改良してゆく後継者が多く現れることを祈らずにはいられません。

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